スイミーノート

おんせん県大分で活動中 フル自己ベスト2:54:59(別大マラソン2024)

禅に通じるランニング~Zen through Running~

 自分がまた本格的に走りだしてからもう7年になります。中学生のときは陸上部で中距離を走っていましたが楽しいなど思ったことは一度もなく走るのが嫌で仕方がありませんでした。それからはランニングという行為から遠ざかっていましたが、再び走り始めたきっかけはちょうど7年前に滞在していた米国ピッツバーグで仕事仲間の皆と5kmのレースに出たことです。結果は全く体が動かず仕事場で最下位。悔しくてそれから少しずつ走り始めました(ちなみに、米国では週末にどこかで市民レースが行われており、開始も7-8時と早くレース終了後はハンバーガーなどの朝食が食べ放題であるためすっかりファンになってしまい良く出場していました)。帰国してからもストレス解消として走り続け(ストレスの増加とともに走行距離も順調に伸び・・・)10km、ハーフマラソンとレースの難易度もあがりとうとうフルマラソンに出場するようになってしまいました(2015年5月から赴任した現職場ではストレスが激減したため、走行距離が減ってしまいましたが・・)。

 家族や同僚から「走るのが嫌とは思わないの?」と良く聞かれますが、中学生のときと同様走るのが嫌なときはたくさんあります。太陽が照りつける真夏や冷たい風が吹き付ける冬の夜なんかは特にそうです。マラソンランナーでもある村上春樹の著書「走ることについて語るときに僕の語ること」にも記されていた「走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはある」という文章は大いにうなずけます。ただ、ほんの少ししかない理由の一つに「無心」になれることがあります。

 走っていると途中でふと何も聞こえず何も考えず(もちろん目は開いています)、気がつくと結構な距離を走っていたということをよく経験します。この走り終えた後はすごく頭がスッキリしており、良いアイデアが沸いたりします。これはまさしく「禅」に通じるものがあるのではないかと思います。インターネットでRunning とZenを検索してみると多くヒットしこれらに関する著書も多く出ています。これらによると、ランニングは瞑想状態をもたらし、それは禅に近い、つまり無心になることにより心に平穏を得ることができると記されています。

 さて、突然の辞令で4月から別の職場に異動になります。また2人の子供たちも大学、高校と進学するため環境が大きく変わってきます。不惑の齢を既に超えた現在も仕事、家庭などで戸惑い続けている私ですが、無心でいられる時間を確保するためにこうして走っているのであろうと改めて感じています。

 

別大スタート地点のうみたまご付近からみた別府湾(夕焼けバージョン)

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